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宮崎地方裁判所 昭和30年(ワ)152号 判決

原告 新地福治 外一名

被告 九州電力株式会社

主文

被告は原告福治に対し金三十三万五千四百円、原告アヤ子に対し金三十万円及び右各金額に対する昭和三十年九月九日から支払ずみに至る迄、年五分の割合による金員を支払え。

原告等その余の請求はこれを棄却する。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は「被告は原告福治に対し金九十六万九千二百三十三円、原告アヤ子に対し金九十三万三千三百三十三円、及び右各金額に対する本件訴状送達の日の翌日から支払ずみに至る迄年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、その請求の原因として

一、被告は電柱及び電線を設備し、電気を供給することを営業とする会社であるが、原告福治は昭和八年以降、肩書地住宅西側に工場を設け、古綿打直しを業としているため、その工場開設当時から引続き今日に至る迄、原告住宅(廂の部を除いての)北側の下から二本目の桁に打ちつけられた腕木(以下(ロ)点と略称)から工場東南隅の柵に打ちつけられた腕木(以下(ハ)点と略称)に接続架設された低圧電線で、被告から工場用として電圧二百ボルトの電気供給を受けていたものである。

二、原告福治は昭和二十九年七月、右住宅西側の廂及び釜屋の改造を企て、廂については従前東西七尺であつたのを、十尺五寸に延長するため、従前の部分を取壊した上、新たな建築に取りかゝつたのであるが、既に廂の柱も立ち西側の桁も上げてから後である同年八月六日午后四時頃、原告等夫婦の二男康男が上半身裸体の儘桁の上にのぼり梁をはめ込む仕事の加勢をしていたところ、その梁がうまくはまらないので下に居た者に「槌をくれ」と言つて腰をのばして立ち上つた途端、同人の首及び背が、前記(ロ)点、(ハ)点間の電線に触れて感電し、僅か何十秒かの間電線にもたれていた後地上に落下したが、落下後一度太い呼吸をしたのみで息は絶えた。

三、この様な事故が発生したのは、ひとえに被告会社の設置した電線に次の如き瑕疵があつたからである。即ち(一)前記電線((ロ)点、(ハ)点間)は、工場開設当時施設したものでその後修繕したことは一度もないので、被覆は破れてぼろぼろになり裸線同様の危険状態になつていた。(二)旧電気工作物規程(昭和二十四年十二月二十九日通商産業省令第七六号、以下旧規定と略称)第百十七条第三号(ハ)号によると鉄道、道路等を横断する場合以外の場合は電線は地表原則として、四米以上のところにあることが要求されているのに前記電線の(ハ)点に於ける取付点の地表との間隔は三米四〇糎にすぎなかつた。もつとも同条第四号によると需要場所の取付点に於ては右間隔は二米五〇糎にまで軽減することが出来るが、それは「工事上止むを得ないときで交通に支障のない場合に限る」のであるから、本件の如く何等工事上止むを得ない事情の存しない場合には右原則に従うべきものであり、又需要場所は右工場であつて母屋迄含むものでないことは当然であるから、(ロ)点について右規準を適用すべきでないことは言う迄もない。(三)旧規定第百十七条五号(ロ)号によると、電線と造営物の上部との間隔は二米以上を保つことが要求されているのに、本件の場合(ロ)点、(ハ)点間の電線は中央が可成り垂れ下つていて、増築部分の廂の桁の上から電線迄の距離は僅か九十八糎しかなかつた。同条五号は、「電線を直接引込んだ造営物については工事上止むを得ないときで危険のおそれがなく、且つ人が容易に触れるおそれがないように施設するときに限つて右の制限によらない事が出来る」旨規定しているが、本件の場合、直接引込んだ造営物とは工場を指す訳であるから、母屋については原則規定が適用さるべきものであり、仮にそうでないとしても、工事上止むを得ない様な事実はなく、又、危険のおそれなく且つ人が容易に触れるおそれがないように施設されていたと謂う訳でもなかつたのであるから、やはり本件の場合は、前記二米以上の間隔が保たれている必要があつた。元来本件の如き場合、低圧架空引込線は、現在の様に出来るだけ屋上を避け、母屋東北隅道路上の本柱(以下(イ)点と略称)から工場東北隅の小柱を経て、(ハ)点に至るように配線がなさるべきであつたのに、事故当時は、小柱を一本節約したため、(イ)点から(ロ)点の腕木を経て母屋の屋上を通り(ハ)点に連接されていた。(四)旧規定第百十七条五号(イ)号によると、造営物の側面ではそれと電線との間隔が一米二〇糎以上であることが要求されているのに本件の場合は(ロ)点の僅か五十糎に足りない腕木に電線が取付けられていたのであるから右間隔が保たれていなかつたのは言う迄もない。

四、以上の様な被告会社の設置した工作物の瑕疵により本件事故が発生したのであるから、本件事故により原告等の蒙つた損害に対し被告会社はそれを賠償する義務がある。即ち(一)二男康男は昭和十四年九月二十九日生(当時満十四年)の中学三年生であつたが、性格は素直で、学業成績もよく、健康も勝れ、原告等夫婦は大いに将来に望みを有つていた。それだけに、これを喪つた原告等の悲嘆は実に甚大なるものであつて到底文字に表し切れるものではない。その精神的苦痛に対し、慰藉料として、被告は原告両名に各金五十万円を支払うべきである。(二)右康男の生年月日からするとその平均余命は五十年で、満二十年に達すれば労働者として、全国平均賃金月額一万八千六百二十四円を得べきであつたから、それから同人の生活費等月一万円を控除した金八千六百二十四円を同人の実収益として年五分の割合でホフマン式計算方法により、同人の将来得べかりし経済上の利益で即時に支払いを受け得る金額を計算すると金二百二十万八千二百四十円になる。康男は本件事故により喪つた利益として、即時に右金額相当の賠償を被告に請求し得る訳であるが、康男の死亡により原告等が右賠償請求権の各二分の一を相続したから原告等は各百十万四千百二十円の請求権を有するところ、本訴においてはその内、各金四十三万三千三百三十三円を請求する。(三)更に原告福治は二男康男の葬式費用及び医師手当として金三万五千九百円の支出を余儀なくされたのでこの賠償を請求する。よつて原告福治は以上合計金九十六万九千二百三十三円、原告アヤ子は以上合計金九十三万三千三百三十三円及び右各金額に対する本件訴状送達の日の翌日より支払済に至る迄年五分の割合による各金員の支払いを求めるため本訴請求に及んだ。と述べ、被告の答弁に対し、「被害者並に原告等に過失ありとの非難は当らない。被告会社はその電線施設の完備に万全の注意を払つて事故の発生を防止すべきであつた。就中事故当時は、完全月間として電気施設の安全を徹底させる行事が行われていたのに、被告会社は前記の如き施設の瑕疵について事故の発生を防止すべき何等の措置をも講じなかつた。原告等は前記増築工事をなすについては、被告会社に事前に通告をなし、会社からはその使用人朝国吉治が来たが、その時は釜屋のみならず廂の部分も壊しにかゝつて居り、コンクリートの基礎工事も出来、大工は中庭で切り込みをしていたのであるから、仮に原告等の右通告による連絡が釜屋部分の改造と言う事であつたとしても、会社としては現況を観て、右釜屋部分の電燈線のみならず、廂上部の動力線についても注意し、処置すべきであつた。事故当日の午前十一時にも動力線の故障で被告会社の使用人が右現場に来ているが何等の措置も講じなかつた。この様な次第で被告にこそ重大な過失があつた訳で、原告等には何等の過失もなかつた。」と述べ、立証として、甲第一乃至第五号証、第六号証の一乃至十一、第七乃至第九号証、第十号証の一、二、第十一号証を提出し、証人堀部大、新地敞(以上各第一、二回)朝国吉治、井上ヒナ、矢本初治、渡辺三郎、河野敬一の訊問を求め、検証並びに鑑定人堀保鑑定の結果、原告両名各本人訊問の結果を援用し、乙第一号証の成立は不知。と述べた。

被告訴訟代理人は「原告等の請求はこれを棄却する」との判決を求め、

原告等の主張事実に対し、答弁として、

一、被告が、原告等主張の如き会社であつて、昭和八年から原告福治の工場に二百ボルトの電気供給を行つていた事実(但し昭和十八、九年頃から同二十三年迄断絶していたが同年から供給を再開したものである。)原告等がその住宅西側の廂及び釜屋にその主張の如き工事を施行した事実、原告等夫婦の二男康男が原告主張の日時頃死亡した事実及び右康男は昭和十四年九月二十九日生の当時中学三年生であつた事実、原告等が右康男の相続人である事実は、これを認める。被告が感電事故の通知を受けたのは昭和二十九年八月六日の午后四時四十分頃であつたからそれ以前に於ける康男の行動、及び事故の模様については知らない。又原告福治がその主張の如き葬式費用及び医療費を支出したとの点及び康男の学業及び健康の点等についても知らない。

二、被告の施設した電線には原告等主張の如き瑕疵はなかつた。即ち(一)本件電線は、二、六粍硬銅線を使用したものであるが、前記の如く昭和二十三年の供給再開の折に工事のやり替えをなしたもので決して裸線同様のものではなかつた。(二)成程旧規定第百十七条には低圧架空引込線の施設方法について原告等主張の如き規定があり昭和二十九年四月一日公布施行の通商産業省令第一三号電気工作物規定(以下新規定と略称)はその附則五号に於て、右施行の日から三年間はなほ従前の例によることが出来る旨規定している。然しながら低圧架空引込線とは配電線路の支持物から他の支持物を経過しないで需要場所(電気使用場所を含む構内全体)の取付点にいたる架空電線を言うのであつて、本件の場合、(イ)点の電柱(妻線第一七二)から他の電柱を経ないで需要場所の取付点たる(ロ)点の腕木に至る迄の電線を指するのである。従つて、(ロ)点から(ハ)点に至る電線は旧規定第百十七条所定の低圧架空引込線ではないからそれに関する制限に服するものでないことは勿論、右電線については軒下その他家屋の外面の工事に関す規定である旧規定第百二十一条に則るべきものであり、同条第一号(ロ)によると電線と造営物との距離は四糎以上であれば差支えないのであるから被告会社の施設した電線に何等右規定違反はなかつた。又旧規定第百十七条三号ハ号によると電線の地表上の高さは四米以上であることを規定しているが需要場所の取付点たる(ロ)点の地表上の高さは四米一五糎あつた訳であるからこの点に於ても何等違反はない。(ロ)点、(ハ)点間の電線の中央が垂れ下つていた旨原告等は主張しているが自然の弛緩以上に垂れ下つていたと言う事実はない。

三、斯様に電線施設の完備に拘らず、本件の如き事故が発生するに至つたのはひとえに原告等の過失に基くものである。被告会社は本件事故発生当時は夏期安全週間として事故防止のため各種の行事をなし宣伝ビラの貼付等をして極力事故発生の防止に努力した本件の如き電線に触れ易き増築工事をなさんとするには予め、被告会社に通告して送電の一時停止を求め、その停止を待つて、初めて工事を施行すべきであつたのに、原告等は被告会社に無届で工事をなし、然も二男康男は夏期汗の出る季節に上半身裸体の最も感電し易い悪条件で工事に従事したと言うに至つては感電による事故死は自ら招いた不祥事と言うの他はない。又二男康男の感電部分は背部のみで首の感電は認められない。同人が落下後一呼吸した事実及び人工呼吸を施行した際、脳底骨折ありたる場合に応々に起る鼻及び口からの出血があつた事実からすれば、本件の死因は感電による即死ではなく地上に落下した際の脳底骨折、脳震盪等に基く死亡と考えられる。

四、この様な訳で被告会社には何等の責任がないのであるから、原告等に対する損害賠償の義務はない。仮にその義務があるとしても原告等の請求額は過当である。特に二男康男はその両親の扶養を受けて生活していたものであつて、未だ嘗て自らの労力によつて収入を得た事のないものであるから斯ゝる場合、慰藉料の請求は格別、得べかりし利益が得られなかつた事に基く損害賠償の請求は肯定さるべきではない。と述べ、立証として、

乙第一号証を提出し、証人金丸重男、同粟谷七郎、同羽島正行、同有川貞利の各訊問を求め、甲第五号証の成立は不知、爾余の甲号各証の成立は認める。と答えた。

理由

被告が電柱及び電線を設備し、電気を供給することを営業とする会社であり、原告福治が昭和八年以降、肩書地柱宅西側に工場を設け古綿打直しを業とするものであつて、工場開設当時から今日迄(途中昭和十七、八年から同二十三年迄の間は除く)被告から工場用として二百ボルトの電気の供給を受けていた事実並びに昭和二十九年七月頃から原告等住宅西側の廂及び釜屋について改造工事がなされたこと及び原告等夫婦の二男康男は昭和二十九年八月六日午后四時頃死亡した事実は当事者間に争いがなく、本件電線が(イ)点の電柱から、(ロ)点の腕木を経て、(ハ)点の腕木に連接されていた事実は被告の明らかに争わないところである。

そこで先づ右康男が死亡するに至つた原因について検討すると、証人河野敬一の証言によつて成立を認め得る乙第一号証に証人新地敞堀部大(各第一回)、河野敬一の証言、並びに検証の結果を綜合すると、昭和二十九年八月六日の午后四時頃、右改造工事に於ける廂延長の工事で、柱を建て、桁の取付けもすみ、南側から順次梁のはめ込みをするとき、廂の上で、二男康男が長男の敞から受け取つた梁を桁の溝にはめ込もうとしたがはいらないので、下に居る者から槌を取つて貰おうとして、腰を延ばした瞬間背中が(ロ)点、(ハ)点間の電線に接触して感電し、数秒間電線にもたれて硬直状態にあつた後地上に落下し、一呼吸して絶命したが、右康男の死因は感電により殆んど全身の機能が痳痺してしまつたため地上に落下して、頭部を打ちつけ、脳震盪を惹起して死亡したものであることを認めることができる。成立に争いのない甲第二、三号証中電撃死である旨の記載は右河野敬一の証言からすると、必ずしも右の認定に反するものではなく他に右認定の妨げとなる証拠はない。従つて右康男の死亡が感電に起因するものであることはまことに明瞭である。

そこで被告会社の設置した工作物たる右電線施設の瑕疵の有無について審究する。先ず、(1) 本件電線(就中(ロ)点(ハ)点間の電線)の設置基準が低圧架空引込線としてのそれに従うべきものであつたかどうかの点について検討すると、元来電線施設に於ける電線の種類並に地上、屋上、屋側の間隔等に、一定の制限が設けられるのは施設そのものの安全性を保持する外、交通の安全、火災の防止、人命の保護等を目的とするもので本件事故発生当時施行されていた旧規定第二条は「架空引込線とは配電線路の支持物から他の支持物を経ないで需要場所の取付点に至る架空電線」であるとして居り、「支持物とは、電線路に使用する木柱、鉄柱、鉄塔及び鉄筋コンクリート柱」であつて引込をする際屋上に設ける所謂「うま」等は、支持物には含まれないと解され、又需要場所は「電気使用場所を含む構内全体」を指すのであるが、構内とは「へい、さく、ほり等によつて区切られ、施設関係者以外の者が自由に出入り出来ないところ又はこれに準ずるもの」として特定された区域を指すものと解され、更に又同規定第百二十一条は軒下、その他家屋の外面に沿つて「がい子引工事」等により、低圧引込線を施設する場合に限つて、右架空引込線としてのそれよりも、設置基準を緩和して設置出来ることを規定している。これ等の規定の解釈並びに前記電線施設の設置基準についての目的からすれば、右(イ)点から(ロ)点の腕木を経て(ハ)点の腕木に連接する方法によつて架設された本件電線は、右旧規定にいわゆる架空引込線で、その設置基準に従うべきものであることは明らかである。(2) 本件電線の性状について考えると、旧規定第百十七条二号によると低圧架空引込線についての使用電線は二、六粍硬銅線で、綿絶縁電線又はこれと同等以上の効力のあるものであることが要求されて居る(綿又はゴムの絶縁電線であることが要求されるのは引込線中軒下等に工事する場合でも同じ)ところ、証人堀部大(第一回)、同井上ヒナ、同矢本初治、同渡辺三郎、同新地敞(第一回)、有川貞利の各証言を綜合すると、本件電線は架設後相当年月を経てその被覆も可成り剥離していて、裸線に近い状態にあつたことを認めるに難くなく、(3) 本件電線の位置の適否についてみるに、電線の取付点の地表上の高さは原告主張の如く四米以上を保つことを原則として、ただ工事上やむを得ないときは、交通に支障がない限り旧規定第百十七条第四号(イ)号により二米五〇糎以上あれば足るものとせられているのであるが検証の結果によると右(ハ)点の地表上の高さは三米四十五糎で、(イ)点、(ロ)点は何れも地表上四米以上あつたこと及び右(ハ)点については別に交通に支障なく且つ工事上已むを得なかつたものと認められるので本件電線の地表上の高さは適正なものであつたといわねばならない。次に右規定第百十七条第五号によれば電線の屋上の高さは二米以上の間隔を要するところ検証の結果によると、本件電線の屋上の高さはもつとも間隔があると考えられる廂増築部分の軒先から垂直線上の電線迄の距離でさえ九十八糎しかなかつた訳であるからこの点については右規定に違反し所定の間隔が保たれていなかつたものといわざるを得ない。右各認定の妨げとなる証拠はない。尚原告等は、(ロ)点に於ける本件電線の屋根からの間隔が適正なものでなかつたと主張しているが、この点に仮に瑕疵があつたとしても本件事故の原因には無関係である。

これを要するに被告会社の設置した本件電線には、原告等主張事実の中、(一)本件電線が殆んど裸線に近い状態で放置されていた(二)その様な電線の屋上の高さは法定の間隔が保たれていなかつた、という二点に於て、瑕疵があつたものというべきで、これ等の瑕疵が本件感電事故の原因をなしたものであることは当然であるから、被告は、原告等に対し原告等の本件事故によつて蒙つた損害を賠償すべき義務ありというべきである。

被告は、本件事故が、被害者及び原告等の過失に基くものである旨抗弁するので按ずるに、本件電線は被覆が剥離して殆んど裸線同様の状態で、しかも本件廂の部分の屋上では一米足らずの間隔しかなかつたことは前認定の如くであるが、証人新地敞、堀部大(以上各第一、二回)、朝国吉治の各証言、原告両名本人訊問の結果を綜合すると、原告等は右電線の状態を知悉しながら、被告会社の送電停止等の措置を俟たないで作業に着手し、又二男康男に対してもなんら特別の注意を与えず、右康男自身も亦かような危険な状態にあることを知りながら自から注意を怠つたため、本件事故の発生を容易ならしめたことが認められるのであつて、このことは原告側における重大な過失というの外はない。尤も、右各証拠によると、本件事故の前日原告アヤ子から電線を取外してもらうよう被告会社妻営業所に電話したので、同日同営業所技術員訴外朝国吉治が被告方に来たが、その際本件廂の外釜屋の改築工事をもなしていて同所には普通の電線が引いてあり、原告等において本件動力線の取外した要求しなかつたためこれに気附かず、従つてなんらの措置をも講じなかつたことが認められるのであるが、このことから直ちに原告等に過失がなかつたとはいえないのである。

そこで進んで、原告等の請求額の当否について判断する。原告等の二男康男が昭和十四年九月二十九日生で死亡当時満十四年の中学三年生であつた事実は、当事者間に争いのないところで、成立に争いのない甲第九号証並に弁論の全趣旨からすると、康男は学校での成績は先づ良好で勤労意欲も旺盛な通常の健康体の少年であつた事が認められるので、本件事故さえなければ同人は正常な成長を遂げ成年に達した後は、厚生省統計調査部作成の、昭和二十九年度簡易生命表記載の如く、満十四年男子の平均余命五十四年から、右康男の死亡後、成年迄の五年間を差引いた四十九年間は通常の労働に従事して、労働省大臣官房労働統計調査部の毎月勤労統計調査のとおり平均月額一万五千四百円の賃金を得たであらうこと、及び当時から現今に至る経済事情を勘案すると同人の生活費が平均して月一万円であることは共に顕著な事実である。従つて右生活費月額を右平均月額賃金から差引いた残額金五千四百円がその成人後における一ケ月間に得べかりし利益で、これに基いて計算すると四十九年間では合計金三百十七万五千二百円となる。

そこで、民法所定の年五分の割合で、ホフマン式計算法に従い、中間利息を控除して、右康男の即時に支払いを受け得べき金額を計算すると、その金額が八十五万八千百六十二円になることは算数上明らかであるから、被告は右康男に対し右同額の損害を賠償すべき義務があり、原告等は康男の相続人であることは被告の認めて争わないところであるから右賠償請求額について、その半額づつを相続した事になるが、被害者並に原告等には前記認定の如き過失があるから、これを斟酌して、原告等の請求額は各金二十万円を以て相当とすべきである。成立に争いのない甲第八号証を以てしては右認定を覆すに足りないし、他に右認定の妨げとなる証拠はない。被告は、康男が未だ嘗て自らの労力で収入を得たことのないものであるから同人の得べかりし利益についての損害賠償請求を認めるのは不当であると抗弁する。しかし、右康男が前記認定の如く通常の少年であつた以上経験則上成人後の得べかりし利益は予想されるものであるから、これを失つた損害の暗償請求を認めるのは不当ではなく、被告の抗弁は理由がない。

原告福治は本件事故のための失費として医師手当並びに葬式費用計金三万五千九百円の賠償を被告に請求しているが原告福治本人訊問の結果によると、右失費は合計して金三万五千四百円である事が認められ、右認定に反する証拠はない。

次に慰藉料の請求額について判断する。

二男康男は前記の如く学業も良好で真面目な少年であつたことからすれば、原告等両親の期待するところは大きく、本件事故が感電後屋上から墜落するといつた悲惨なものであつたことを考え合せると、原告等の悲しみは一入であつたと推測される。そこで成立に争いのない甲第七号証によつて認められる原告等の資産、生活の状況、並びに一般に顕著な被告は厖大な資本金で九州全土に亘り、電気供給の事業を営んでいる会社である点等その他諸般の事情を考慮して原告両名に各金十万円の慰藉料請求権を認めるのが相当である。

そうすると、被告は、原告福治に対し、合計金三十三万五千四百円原告アヤ子に対し、合計金三十万円及びこれ等の金額に対する訴状が被告に送達された翌日であること、記録に照し明らかな昭和三十年九月九日から支払済に至る迄民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払義務があるものといわねばならない。従つて原告等の本訴各請求はその限度に於てこれを認容しその余の部分は失当であるからこれを棄却し、訴訟の費用の負担につき民事訴訟法第九十二条但書を適用して主文の通り判決する。

(裁判官 長友文士 新穂豊 渡辺伸平)

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